ソフトハウス経営.com > ソフトハウスチームからみなさまへ > 長島 淳冶
![]() |
氏名 長島 淳治(ながしま じゅんじ) 役職 株式会社船井総合研究所/長島チーム チーフコンサルタント 趣味 読書、映画鑑賞、子供と遊ぶこと 一言 経営者を元気にする!それが私のモットーです!! 実績・経歴はコチラ |
|
こうお話しすると驚かれるかもしれません。
私は生まれつき心臓に疾患を抱えていました。当時では非常に難しい手術であり
生きる事が難しい状態でした。
ところが、当時の日本の心臓外科のトップが執刀医となってくれたお陰で、私は
生きる事ができたのです。また、私の為に当時の父親が働いていたIBMの方々が
輸血をして下さいました。私の中には私以外の人が今も息づいていると感じます。
入院生活は長期になり、幼稚園も年長からのスタートでした。
こうした生い立ちを抱えたからか、非常に甘やかされたと思います。
心臓病にとってはいけないのですが、やはり肥満傾向になっていきました。
運動も激しいものはできないという中で、できないことを肯定してきました。
中学・高校とクラブは部長・・・。前に立つ事が好きでした
そんな私ですが、中学ではテニス部に入部しました。
父親譲り(父は実業団の選手でした)の才能でしょうか。その中学では一番上手い選手になりました。テニス部では部長も経験しました。
高校では一転、放送部という文科系のクラブに入部しました。そこには幽霊部員となっている先輩しかおらず、1年の時から自由奔放にさせて貰いました。お昼の放送にトーク番組を開催。先生をゲストに呼んで、恋愛話をして貰うという画期的なプログラムでした。放送2回目にして、担任に怒鳴り込まれて打ち切りという悲惨な結末でしたが。ラジオドラマにも挑戦し、FMで放送された事もあります。また文科系クラブでは、その高校の歴史上初めての合宿を実現しました。ここでも部長を経験しました。
大学は一年の浪人の後で何とか滑り込み。
船井総研では最も偏差値の低い大学出身を謳っていた執行役員がいましたが、その役員よりも更に偏差値の低い大学でした。
夢が実現した営業という仕事。コンプレックスが武器でした
大学生活を経て社会人へ。
私は人とコミュニケーションを取る事が比較的得意なので、営業になる。という
非常に短絡的な理由から年商600億円規模のシステムインテグレーターに入社しました。
しかし、子供の頃の作文で将来の夢はコンピューターの営業マンと書いていたので、
夢が実現した瞬間でした!
私は入社した同期の中では、最も偏差値の低い大学出身でした。
強烈なコンプレックスと彼らには負けないという強い思いを持ちました。
私が配属となった部署は、NB部隊。簡単に言えば新規開拓営業でした。
この部署は当時、窓際部隊でした。
大阪で営業職として入社した同期は私の他に3名。
しかし、他の同期は花形であるアカウント営業。既にお客様がいて、とても羨ましく思うと同時にやはり期待されていない自分の立場に、コンプレックスを抱きました。
私は全くの新規開拓として飛び込み営業の日々を過ごしました。
担当したのは一般企業ではなく、大学向けの新規開拓営業。
関西圏の全ての私立大学へ飛び込み営業をしました。
当時は足で稼ぐしか方法を知りませんでした。
ところが努力は報われるもの。お陰様で成果も上がり、1年目から賞を獲得する等。
とても充実した日々を過ごしました。伝説(?)の6億円の新規システム開発案件の獲得を実現し、入社4年目には全社で開催されたプレゼンテーションコンテストで優勝しました。
私は尊敬する父からお客様満足の重要性を教えられていました。
いわゆる英才教育ですね。
その結果、常に それはお客様のためになっているのかという言葉を繰り返しながら
営業をしていた記憶があります。
私が働いていた会社はIBMの特約店という立場でした。
自分が営業として関係を作ってきたお客様であっても、IBMの指示に従い
販売したくもないシステムを、彼らの決算期に合わせて無理やり売り込む。
そんなお客様満足とは程遠い現状を目の当たりにしていました。
「私は、こんな事をしたくて営業になったんだろうか」
いつしかそんな疑問と共に【最後まで自分が責任を持ってお客様と付き合える仕事がしたい】 という思いがふつふつと沸きあがってきました。
思えば、この疑問が私を転職活動へと誘う事になりました。
経営者を元気にしたい!それが私のモットーになりました
船井総研との出会いは、転職活動の2社目で訪れました。
船井総研に入社できなかったら、転職は諦めようと何となく考えていました。
会社への深い思いもなく、本を出しているコンサルタントに会えるのは嬉しいという
ミーハーな気持ちで役員面接に臨み、見事合格する事ができました。
船井総研に入社が決まった当時、ある時ふと
【自分の命は生かされた命なんだ】と感じました。特にきっかけはなかったのですが、唐突にそう感じたのです。
90%以上死ぬ命がいまもある。その不思議にその時に感じ、もしも生かされているの
であれば、その使命を全うするまで私は死なないはずだ。
そんな強い思いが私の中に芽生えた瞬間でした。
運良く船井総研に入社しましたが、それから1年は地獄の日々でした。
前職の時に持っていた出来る営業というプライドが邪魔をして素直に先輩の話が聞けません。自分の方法でというこだわりが生まれ、実績も無いのに出来るはずという思い込みを持ち続けていました。
結果的に1年目は悲惨な実績を叩き出し、精神的にも辛い時期を過ごしました。
しかし、全ては必要・必然です。
ある時、チームでの会議の場で発表した私の話を聞いていた上司から
『その領域に絞り込んで活動してみたらどうだ?』
と言われたのが、IT業界でした。
前職から離れて1年。
異なる領域のコンサルタントになろうと決めて入社した船井総研で
IT業界との出会いが待っていました。この出会いが転機となり、素晴らしい経営者との出会いや雑誌への寄稿。書籍の出版、セミナー活動という自分でも信じられない経験を積む事が出来ました。
現場支援として経営者にアドバイスをする日々・・・。
ところが、ふと疑問を感じる事がありました。
「コンサルタントって何をする人なんだろう?」
私は経営の経験がありません。
父はサラリーマンでしたし、経営という世界とは程遠い人間です。
私に相談をされる経営者は、経営経験が少なくとも私よりも豊富です。
そして、人生経験も豊富です。
そんな方々に経営の実務を経験していない若造が、何をアドバイスできるのか。
自分の仕事の定義が出来ない状態になっていました。
そこで言葉の定義をしようと考えました。
「コンサルタント=?」
しばらく考えた結果、私が生み出したのが【元気】でした。
私は経営者に元気を提供したい。
相手を元気にするという事であれば、経営者よりも優れた存在でいたい。
経営者が元気になれば、社員も元気になります。
結果的に会社も元気になっていきます。
経営相談に来られる経営者とお会いすると、多くの方は元気がありません。
車で言えば、ヘッドライトが汚れており、街灯のない夜道で薄明かりを頼りに
走っている状態。
これでは不安や恐怖でアクセルもハンドルも切ることは出来ません。
元気とは、汚れているヘッドライトをきれいにして
夜道を照らし、経営者が安心と自信を持って前進できる状態を作ることです。
その為に何ができるだろうか。
日々それを考えながら、経営者と共に今も、そしてこれからも歩んでいきます。































