ITベンダー経営.com > IT企業コンサルティングチームからみなさまへ > 江尻 高宏
京都生まれです。
といいましても、京都市ではなく、天橋立で有名な宮津市です。
人口2万人という非常に田舎な場所でのびのびと育ちました。
宮津市は海に面しているため漁業が盛んな町で、
小さいころは漁師さんに船に乗せてもらい、
海釣りをして遊ぶことが多かったです。
だからなのか、小さいころから海が大好きで、
趣味のスキューバダイビングにつながっているのでしょう。
小学校に入学してから父親の仕事の都合で滋賀県に引っ越し、高校まで過ごしました。
琵琶湖で有名な滋賀県です。
もちろん、琵琶湖でもよく釣りをしましたが、
小学校のころ、なぜか算数に目覚めたのです。
いまだになぜかは分かりませんが、計算が得意でした。
算数においてはクラスで1番を取ることが多かったのです。
おかげで算数の成績は良く、「算数はできる!」と思い込みが始まったのを覚えています。
さらに母親の言葉がその思い込みを後押しします。
「お母さんも昔は理数科目は得意だったのよ。
アナタはその血を受け継いでいるの。だからできるはず」
小さいころの私は単純でしたから、どんどん思い込むようになっていきます。
思い込みの力は本当にすばらしく、中学・高校も数学は大得意。
高校の理数系クラスでは数学のトップの座を一度も譲らず。
ただ残念なのは、その他の科目に興味を示さなかったこと。
漢字が多いからという理由で「漢文」をやらない。
日本人だということで「英語」をやらない。
後ろは振り向かない、ただ前だけを向いていたいと「歴史」はやらない。
かろうじて小学校から小説を読むのが好きだったので、「現代文」だけは平均点を超える程度。
まだ救われたのは、化学などの理科科目は高校時代の先生が大変すばらしく、
楽しい授業でまじめに授業さえ聞いておけば、いい成績が取れたのです。
おかげで何とか理科系として面目は保てている状態でした。。
大学受験が迫り、さすがに“この科目はキライ。だからヤラナイ”などとは言っておれず、
必死で勉強に励みました。
朝から晩まで勉強する日々が続き、
“好きじゃない”という思い込みもマイナスに働き、
理科系科目以外の勉強は本当に苦しい日々でした。
その後、その苦しい暗黒の時代が過ぎ、関西大学工学部に無事入学。
そこから念願の一人暮らしをはじめました。
大学から一人暮らしをする。
これは私が高校時代からの憧れだったのです。
しかし、ここで夢と現実のギャップにはじめて悩まされることになります。
華やかな一人暮らし。
それを夢見ていたのですが、男子学生の一人暮らしといえば「貧乏生活」がつきもの。
もちろん、私もそれに漏れず貧乏でした。
晩飯はご飯だけというのも少なくない。
朝・昼・晩がカップラーメンというのも珍しくない。
そんな食生活を送りながらも、
勉強やバイト、遊びと、全てに夢中の大学生活を送っておりました。
そうして研究室に配属され、人間工学を専攻。
その学問の面白さにはまり研究に没頭することに。
「人が物事を考えるときに脳の中でどのような活動が行われているのか。」
医学では、脳の中を“実際に見て”観察する。
工学では、脳を傷つけないように電気や磁場で測定する。
この学問に心底ワクワクしながら取り組みました。
とにかく面白い。
面白いと思うとそれに突っ走ってしまうクセがあり、
もしかすると小さいころの「算数が得意」と思い込んでから、
そればかりを勉強していたことと似ているのかもしれない。
そう思います。
1ヶ月に1日しかない休みのない月や、研究室に泊り込む日々も。
それでもまったく苦痛はなく、とにかくがむしゃらだったのです。
その後、大学院に進学。
理由は、高校時代から「大学に行ったら必ず大学院まで行く」と決めていたから。
その想い願い、関西大学大学院工学研究科へ進学。
大学院でも同テーマで研究を進めました。
とにかく夢中で走った2年間でした。
2年間の研究生活の後、無事に大学院を修了。
その後、大手シンクタンクへ入社しました。
コンサルタントへの道へ近づいていきます。
大学院修了後に入社した大手シンクタンク、
当時の入社動機は「システムコンサルタント」になるためでした。
なぜシステムコンサルタントを目指したのか。
理由は2つあります。
ひとつは、尊敬していた大学院の先輩からその会社を勧められたこと。
その先輩が気持ちのいい笑顔で、
「この会社でシステムコンサルタントとして働いたら、面白いと思わないか?」
と言れたのです。
迷わず、行こうと思いました。
もうひとつは、
そのシンクタンクでシステムコンサルタントとして活躍している方に
お会いする機会があったのです。
何をやっているのか、日々何を考えているのか、
何に面白みを感じているのか、何を目指しているのか、
じっくり話を伺ったとき、「私もこのような仕事がしたい!」と強く感じたのです。
私が入社した当時は、BPRやERP、そしてEDIなど、
3文字の英単語が雑誌やニュースで頻繁に使われていました。
氾濫しているといっても過言ではないでしょう。
e-businessやe-commerceといった"e-"を頭につけるのもはやっていた時代でした。
世界がまさにITを中心に変わっている、
そんな変化の激しい世界の中心にITがある、
私はそのように感じました。
その世界に入りたい。
情報システムに関連する仕事に携わりたい。
システムコンサルタントになれば世界を変えられるのではないか、
そんな気がしてワクワクしていました。
そういう思いを持ち、入社。
夢と現実のギャップに悩まされる2度目の出来事に遭遇します。
まず現実を知らされたのは、
情報システムの開発現場が想像以上に厳しいということ。
入社した当時は、システム開発を担当。
開発のピーク時は、徹夜や休日出勤はなんのその。
特に私は金融系に携わっていたため、
ミッションクリティカルなシステムでは、夜間の呼び出しもしばしば。
まさに「過酷」という言葉がピッタリだと思うこともありました。
世界の中心だと思っていたITの世界は、
こんなにも大変なのかと思い知らされたのです。
しかし、システム開発もやはりモノ作り。
辛い経験をしたとしても、その分喜びも大きい。
システムカットオーバ時にお客様に心から喜んでもらえること。
お客様の新しいサービスが軌道に乗りお客様の業績が上がること。
本当に心の底からうれしいと思いました。
残念なことに、会社を辞めていくメンバーも少なくなかったのは現実です。
休みが無い・徹夜が多い。
システムの開発現場が殺伐とすることすらある。
そんな働き方に嫌気が差し、現場を去る人間もいました。
本来楽しいモノ作りであるシステム開発。
世界を変えるのではないかと強く思えるITの世界。
もっとワクワクして、もっと夢見れる世界。
それがITの世界だと思っています。
それがモノ作りの世界だと強く思っています。
システム開発もひとつのモノ作り。
もっと楽しい環境にできるはずだと信じています。
そんな思いから、
もっと本来の楽しみを感じられる現場にできないか、
もっと皆がワクワクする現場にできないか、
そう感じるようになったのです。
それは転機でした。
次の目指すべき道が定まったのです。
それは、
世界を変えるシステム会社をバックアップしよう。
システム会社の社員みんなが心から楽しい会社になるお手伝いをしよう。
そういった変化でした。
「システムコンサルタント」ではなく、
「経営コンサルタント」を目指そうという思いが芽生えた瞬間でもあります。
悩みました。
今いるこの会社で私のやりたいことができないのか。
「実現するのは難しい」
様々な方からの話を聞いた答えでした。
「こういうことがやりたい」という意思を持ち続けていれば、
出会いが演出されるものです。
私のやりたいことが船井総研という会社なら可能なのではないかという話を聞いたのです。
そうして一念発起し、
8年勤め大変お世話になったその会社を辞めて、船井総研に入社。
現在、システム開発はもっともっと楽しいはずだと強く強く思いながら、
1社でも多くのIT会社をワクワクする会社にできるよう、日々励んでおります。
■ 尊敬する人物
吉田松陰先生。山口県にある先生のお墓参りにも行きました。
■ 好きな言葉
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
高杉晋作先生の辞世の句。
■ 仕事以外のひとつの夢
グレートバリアリーフ、パラオ、グロットなど、世界中にあるダイビングスポットを
全て潜ってみたい!





































